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写真 こうして、明治維新後も長岡市を中心とした地域を主な商圏に、着実な営業を続けてきた美濃屋を次なる災厄が襲ったのは、昭和20年(1945)のことである。
この年の大空襲で長岡市は、またしても市街地の80%を焼失。同社も、造り蔵二棟、現在美の川酒蔵館となっている衣裳蔵を残して全焼するという被害を受けた。
「焼けた時は、ご近所の方々がずいぶんと消火を助けてくださいました。アルコールが燃えて花火のようにきれいだったという話を聞いたことがあります」(松本社長)
幸いにして造り蔵が焼け残ったこともあり、同社はすぐに営業を再開し、その後は、どこの蔵でも同じだが、造れば売れた時代がつづいた。
そんな時代ながら、昭和27年(1952)には日本酒造協会主催の第1回全国清酒品評会で優等賞を受賞しているところをみると、当時から品質にはかなりの努力を払っていたものと思われる。
昭和28年(1953)には、法人組織に改組し、美の川酒造株式会社として再スタート。長岡市内の蔵のうち、中堅どころとして順調な経営を続けていく。同社が大きな転換を遂げたのは、昭和53年(1978)、松本健治現会長が社長に就任する前後のことである。
清酒自体の需要に翳りが見えはじめたこの時期、松本会長は、酒質では従来の甘口路線から辛口への転換を進め、品種、ビン、容量などの多様化を進める一方、東京のデパートでおこなわれる物産展などに積極的に参加し、県外にも販路を広げていく。
「広げ過ぎて柱が見えなくなったので、ここ5年で絞り込んではいますが、現在でもPBを含めれば約70アイテム。いちばん多い時には、県内でも1、2を争う160から170ものアイテムがありました」(松本社長)
昭和62年(1987)には、全国的にも有名な長岡の花火大会の時の休憩所を兼ねて、美の川酒蔵館をオープンするなど、松本会長はその後もユニークな取り組みを続けた。

学者志望から8代目への道
写真 その思いを受け継ぎ、平成12年に社長職を引き継いだのが、美濃屋8代目、現在の松本英資社長である。
「子供の頃は、蔵と住まいが同じ建物のなかにあったので、蔵のなかで育ったようなものです。造りの時は、家中に酒の匂いがしていました。
ごく小さな時ですが、夜中に母親から起こされ、醪がふつふつとわいている桶をのぞかされたことがあります。桶に近づかないようにという配慮だったのでしょうが、子供心にすごく怖かったのを覚えています」(松本社長)
しかし、松本社長は3人兄弟の末っ子。酒づくり自体おもしろいとは思っていたものの、ずっと家業は兄が継ぐものと信じていたという。実際、長兄は蔵を継ぐことを前提に大手食品メーカーに勤め、松本社長は大学で酒づくりとは畑違いの植物病理を専攻。将来は漠然と研究者になりたいと考えていた。
そんなある日のこと、松本社長は長兄から食事をしないかという誘いを受ける。話は、勤め先の仕事から抜けにくくなった兄からの、代わりに蔵を継いでくれないかというものだった。
「三つ年上の兄には、ずっと逆らえない関係でしたから、まあ、いいんじゃねえの(笑)と」(松本社長)
こうして8代目候補となった松本社長は、茨城の蔵で2年間修業し、さらに東京滝野川の醸造研究所で半年の講習を受け、同社に入った。
もっとも、すんなり蔵を継ぐことに同意したとはいえ、さまざまなアイデアを思いつき、次々その実行を迫る現会長についていくのは容易ではない。専務時代は会社にいると振り回されるので、もっぱら外に出て酒販店回りをすることが多かった。だが、この酒販店回りがいい勉強になったと松本社長は言う。もともと人と話すのが得意ではなかった松本社長は、こうした営業活動のなかから、酒の助けを借りて少しずつ人との付き合い方を学んだ。
口やかましかった先代も成長を認めたのか、一昨年社長業を退くとすっぱり権限を委譲し、以降経営には一切口を挟まない。

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