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黒牛 和歌山
地域にこだわる純米酒を目指して
平成と共に新しい路線へ
名手専務は、大学卒業後に東京でサラリーマン生活を行い、蔵に戻ってきたのが平成元年一月、三〇歳の時であった。まさに平成と共に新しい名手酒造店を築くべく彼の活動は始まったと言えるだろう。会社の実態などをいろいろと考えて、今日の名手酒造店の純米酒路線がスタートした。
「前職は信託銀行で不動産鑑定等の仕事をしていましたが、いよいよ家業を継ごうという決心を固めてからは、あちこちの蔵を見学に行きました。仕事柄 蔵の見方は普通の方とは少し違い、この広さだったら二〇〇〇石造れるかなあとか、ついそういう資産鑑定の観点で見てしまいがちでしたが……」
蔵に戻って数日で昭和から平成へと改元が行われたので、その頃のことはよく覚えているという。直前の昭和六三年の製造量は、課税移出数量(自社ブランドで販売した量)五〇〇石、灘の大手メーカーからの製造委託(いわゆる桶売り)一〇〇〇石という状態で、本当に小さな造り酒屋であった。
彼はこの時に、中小の清酒メーカーが進むべき方向を真剣に考えて自社の方針を固めた。まず周辺事業として四つの方向を考え、実際に名手酒造店はそのすべてに取り組んできた。
ひとつは、直営居酒屋を経営すること。これは、実際に自社の清酒の販路が確保できることや、消費者の志向を把握する上で多くの蔵が取り組んでいるが、名手専務はその可能性については今では否定的である。
「料飲店の経営ノウハウと、酒蔵の経営ノウハウが重なる部分は案外少ないのです。単に自分の酒を売りたいだけでは、お客様はついてきてくれません」
実際に現在でも東京で和歌山料理の居酒屋を経営しているが、そこでは、他社の地方酒を数多く扱い、現場の権限はそちらの社員に任せているという。
「ただし、お酒の新規銘柄の最終決定権だけは私が持っています。それは、どんなお酒が求められているのかを肌で知りたいからで、私の趣味で銘柄を決めているわけではありませんし、『黒牛』もほんのわずかしか卸していません(笑)」
次に、ビール問屋の兼営である。これは一昔前までは有効であったと言う。
「蔵元は地元で直接酒販店に販売していることが多いので、清酒の販売量が減る夏場のトラックや従業員の仕事を確保する上で、多くの蔵元が取り組んできました。当社の場合は、一〇年ほど前に県内の別地方でご縁のある方に後継者がいないということで、経営を引き継ぎましたが、今は問屋という商売は片手間で経営できるほど甘くありませんし、ビールの価格下落で本当に利益が出にくいのです」と、こちらにも力を入れる価値を見いださない。
三番目は、資料館の設置による見学者への直販である。
「うちの場合は、父(名手久雄社長)が資料館の設立を昔から念願していたので、早くから酒造道具やさまざまな骨董品を集めていました。私の戻る少し前ですが、昭和五九年に旧精米蔵の内部を改造して、酒造り資料館『温故伝承館』を開業しました。観光蔵ではなくて、生活文化としての酒造りの姿と心を伝えたいと思っています。清酒の製造道具関係の展示では質・量共にトップレベルだと言われていて、研究者の方からの問い合わせもときどきあります」
来訪客数も順調で、併設する直営売店「黒牛茶屋」での清酒販売もまずは好調なようだ。
最後のひとつが、専務自身がこの一二年間力を入れてきた地酒路線への取り組みである。なぜ地酒路線なのか。名手専務はさすがに元銀行マンらしく明快に説明してくれた。
「清酒の世界はふたつに分けて考えるとよく見えてくるのです。ひとつは大手メジャーの市場。ここは大量生産・大量販売・マスコミによる広告の投下などが行われ、資本主義の原理そのもので動くので、中小メーカーが 生き残れる余地は小さい。
もうひとつ、市場としてはマイナーで小さいですが、高品質清酒の市場(いわゆる地方酒の市場)があります。こちらは、必ずしも資本主義の原理だけで動くのではないので、小さいメーカーでも十分に太刀打ちできます。しかし大海に浮かぶ小さな島のような市場なので、そこではまた違った次元の熾烈な競争が繰り広げられるのですよ」そして、当社の進むべき道はここだと一気に方向転換したのであった。
同社は、現在、年間に一四〇〇石ほどの清酒を造っているが、その七五%が純米酒「黒牛」である。他に吟醸酒や純米吟醸酒などもあるので、普通酒は一〇%に満たない。高品質酒路線に取り組もうと思った時にまず着手したのが、灘への桶売り
を止めることであった。
「当時、当社で造っていたのは、灘のA社から委託を受けていたやや甘口タイプの清酒でした。これを続けながら高品質酒を造ればいいじゃないかという考え方もあるかと思いますが、杜氏をはじめ造るのは人間で、どうしても習性というものがあります。全体の三分の二にもなる量の酒造りは、他の酒を造る時に影響が出てしまうのです。だから思い切ってお断りすることにしました」
力を集中させると共に背水の陣を敷いたわけである。そして、その純米酒に「黒牛」の銘柄名を付けたのも、地域に密着してその名前に恥じないものを造ろうという意気込みの表れであった。

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