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薩摩酒造 鹿児島

本格焼酎の中でも、最も郷土色を色濃く残す「いも焼酎」。夏にいもの収穫を終えると、今でも一〇〇社ほどのメーカーが、仕込みを行っている。
江戸や明治の焼酎を現代に蘇らせた薩摩酒造(酒文化の会会員)の明治蔵を訪問して、焼酎造りの今昔についてお話を伺った。


焼酎造りをとりまく環境
「にっぽん酒紀行」では、今まで大小様々なタイプの清酒の蔵元を訪ねて、日本酒造りの最前線の現状をお伝えしてきた。しかし、日本を代表する伝統酒類にはもう一つ本格焼酎がある。
焼酎が九州で造られ始めた時期は戦国時代にまで遡ることができる。その伝来ルートも蒸留器の形などから、南方説や大陸説など様々な説が唱えられている。その辺りについては、月刊『酒文化』九七年一二月号の「蒸留器伝来のなぞ」にまとめられているのでここでは割愛する。
江戸中期にさつまいも(但し鹿児島では唐いもと呼ぶ)の栽培が普及した後、鹿児島では、さつまいも原料によるいも焼酎造りが普及し始める。同様に地酒の感覚で米、麦、いも、など日本のあちこちで焼酎造りが普及したことは想像に難くない。このように、本格焼酎はその土地で造られる原料独特の風味や味わいを生かしたものであった。
しかし、焼酎のマーケットの拡大と共に、減圧蒸留やイオン交換という新しい技術に
より甲類焼酎に近い、よりマイルドな味のものが主流になりつつあるのが現状である。その代表が現在のトップブランドの「いいちこ」(大分、麦)であり「二階堂」(大分、麦)である。
一方で、鹿児島の地酒として原料本来の風味を最も強く残したいも焼酎は、ここ数年の市場拡大から取り残されていた。ようやく昨年から、個性のある酒として見直され始め、増勢に転じたというところであろうか。フランスのシラク大統領が来日する折りに、いも焼酎の某ブランドを是非飲みたいとリクエストしてきたという逸話も記憶に新しい。
だが、本格焼酎造りを取り巻く環境は大変厳しい。昨年一〇月の増税を皮切りにこれから、二〇〇〇年まで、焼酎の酒税はまだまだ上がる。そして、零細企業が殆どのこの業界にとっては、蒸留粕の陸上処理設備の設置(今まで海上投棄していたも
のが禁止される)の問題等もあり、課題が山積みである。また、焼酎杜氏も清酒杜氏以上に危機に瀕しているともいう。
これからのいも焼酎造りはどうなるのか。そんなことを考えながら今回は、いも焼酎と黒瀬杜氏を訪ねて、九州南端枕崎市の薩摩酒造を訪ねた。

九カ月を蔵で過ごす杜氏
薩摩酒造は、「さつま白波」で知られる鹿児島最大の本格焼酎のメーカーであり、いも焼酎のトップメーカーである。年間販売量も一四万石の大手なので、オートメーション化された近代的な工場を予想していた。
まずは、数年前に開設された資料館を兼ねた明治蔵を訪れた。本社屋と隣接したこの小さな蔵には、観光用に見学コースや展示も用意されている。入ってすぐ、いきなり、一〇名ほどのおばさん達が並んでさつまいもの皮を剥いているのに驚かされた。同社の松下治館長から、「よく、夏に見学に訪れた方などは、ここは資料館で製造していないものと勘違いされるのですが、今でも現役の工場です。特に明治の焼酎や江戸の焼酎をはじめ、多品種少量生産や付加価値商品は、すべてここで造っています。現在は、久保純昭杜氏と五名ほどの蔵人(社員)で造っています」と説明を受ける。
久保杜氏は黒瀬町出身の五六才。お父さんも焼酎杜氏で、最初の二年間は父と同じ蔵に入り、手ほどきを受け、その後、薩摩酒造に移っている。早速、杜氏からお話を伺った。現在はお盆過ぎから五月までの九カ月をここで過ごし、残りの三カ月は地
元に帰るという生活である。
「昭和三六年にお世話になって以来、毎年薩摩酒造で焼酎を仕込んでいます。昭和五二年に副杜氏になり、六二年に杜氏になりました。明治蔵ができてからは、こちらにいる期間が長くなりました。普通の蔵は大体、杜氏仕事は年末で終わります」
このあたりの事情については、同社の鮫島吉廣常務(製造部長兼研究所長)が説明してくれた。
「明治蔵は、製造現場であると共に、実験、開発、教育、伝統保持の場でもあるのです。例えば、当社で最近復活させた明治の焼酎や江戸の焼酎。これらは、昔の文献を辿り、昔の造りを再現しながら、それを現代に復活させていますが、研究所が解析
したデータを基に久保杜氏と共同して造っています。
その過程の中でまた、新しい技術を開発している。新しいいもを使ってみるとか、新しい麹を使ってみるとか、研究所で開発したデータを基に実際に商品化する場が、ここになっているのです。
だから、どうしても仕込みの期間も長くなり、彼もここにいる期間が延びているのです。江戸時代の方式の造りから現代の造り方まですべてマスターしている杜氏は世界中にも久保さんしかいません」

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