時代や文化とリンクしたお酒に関する旬の情報サイト
酒文化研究所ホームページ
会社概要酒文化の会メールマガジンContact UsTOP
イベント情報酒と文化コラム酒文研おすすめのお店酒文化論稿集酒飲みのミカタ特ダネ
海外の酒めぐり日本各地の酒文化見学できる工場・ミュージアム酒のデータボックスアジア酒街道を行くリンク集

<<酒めぐりTOPへ

過去記事一覧

焼酎を訪ねて
  九州山間地を行く


居酒屋にススメ

粕取焼酎を現代に生かす

北海道の大地で育った酒

美ら島酒紀行 メーカー編

美ら島酒紀行 飲食店編

観光資源としての
  酒文化 下


観光資源としての
  酒文化 上


南国土佐に「酒の国あり」

大信州(長野)
  「長野の酒」からはずれを
  なくす


初孫(山形)
  機械と手作りを
  融合させた新工場


阿蘇の名水生まれの酒

若鶴(富山)
  濃醇な無濾過生原酒で
  おいしさを追求


奥越前(福井)
  名水と酒米の里の酒


自分のワインを造りたい
  −各地で生まれる
  ドメーヌ型ワイナリー


美の川(新潟)
  新潟酒の個性派


山田錦のテロワール1

山田錦のテロワール2

機山ワイン(山梨)
  風土を生かした
  ワイン造りへの挑戦
日本と海外の酒めぐり
神亀 埼玉
先祖の思いを継ぐ「正しい」酒造り
他にさきがけて純米酒一〇〇%に移行した神亀酒造は、時代に流されない頑固で個性的な酒造りで知られる。だが、この伝統的であるがゆえに革新的な酒造りの背後には、江戸時代から第二次大戦を経て現代に至る、長い歴史が隠されていた。

埼玉県蓮田市といっても、たいていの人はどこにあるのかさえわからないのではないか。田園都市といえば聞こえはいいが、つまりは東京近郊のどこにでもありそうなベッドタウンである。
JR宇都宮線の駅前は再開発されたらしく、背は低いながらこぎれいなビルが並んでいるが、人通りは多くない。聞けば、ビルのテナントなども入れ替わり を繰り返しているらしい。
そんな駅から住宅街のなかを歩いて一五分。竹林の向こうに緑に囲まれた白い煙突をもつ建物群が見える。煙突さえなければ、かつての地主ででもあったかという広い敷地を従えた、民家にしか見えないその建物が、神亀酒造株式会社の本社である。
どこから見ても大きな看板はない。小さな門をもつ大きめの住宅の裏に、古い倉庫然とした建物がつづいているだけ。これでは、たどり着けない人が多いというのもうなづける。
「ここは第一種住宅専用地域のため、いろいろと規制がうるさくて大きな工場が建てられないんです。ただ、そのかわり地下水の汲み上げなどもありませんから、水はきれいで豊富です」(神亀酒造株式会社・専務取締役、小川原良征氏)
確かにこの地は、元荒川と見沼代用水にはさまれ、今でも池や沼が多い水には恵まれた土地だ。だが、純米酒にこだわった気骨のある酒造りで、いまや全国的に知られる「神亀」が、なぜ埼玉の蓮田で生まれたのか。
「銘酒」と「埼玉」。失礼を承知で言葉のイメージだけで言えば、これほどのミスマッチはないだろう。
その秘密を知るためには、まずこの蔵の長い歴史をさかのぼってみる必要がありそうだ。

越後発・相模経由・蓮田
同社の創業は嘉永元年(一八四八年)。ただし、この創業には「蓮田での」という限定がく。
小川原家の本家永井家は、現在も新潟県の東頚城郡にある。この本家もかつて酒蔵を営んでいたというから、かなりの豪農に違いない。
蓮田小川原家の祖は、江戸中期に、永井本家から越後高田の米穀商に婿むこ入りした男で、その後妻の死亡で跡取りを残し次男だけを連れて一時実家へ帰った。この男が次男とともに天保二年、相模国田中村へ出て立てた蔵が、神亀の直接の先祖となる。姓ははじめ永井だった。
しかし、この蔵は火災で焼失。永井家は本家を頼ることとし、相模から越後への長旅に出た。この旅の途中で立ち寄ったのが、岩槻藩領の当時河合村現蓮田だったのである。
気候がよく、水も豊富できれいなこの地を、一行は一目で気に入った。おあつらえ向きに、廃業したばかりの蔵もある。永井家はこの蔵を借り、地縁も血縁もない蓮田の地で再出発することとした。
とりあえず、永井の名で二度の造りを数えた後、小川原本家から小川原という姓を譲り受け、名実ともに蓮田の酒蔵として認められたのが嘉永元年。このときにつけたのが「神亀」という名である。
「いまは埋め立てて公園になってるんですが、昔、蔵のすぐ裏に、天神沼という池があったんです。その上に天神様のお社があって、天神様のお使いは亀だということで、それにあやかって『神亀』と名づけたと聞いています」(小川原専務)
こうして、天神の使い亀は蓮田という地に根付いた。もっとも、酒の売り先は蓮田ではなく、隣の大宮や浦和を主としてきた。これは、新参の神亀がこの地ですでに酒造りをしていた他の蔵のテリトリーを侵すのをはばかったためだ。

<<前頁へ      次頁へ>>