時代や文化とリンクしたお酒に関する旬の情報サイト
酒文化研究所ホームページ
会社概要酒文化の会メールマガジンContact UsTOP
イベント情報酒と文化コラム酒文研おすすめのお店酒文化論稿集酒飲みのミカタ特ダネ
海外の酒めぐり日本各地の酒文化見学できる工場・ミュージアム酒のデータボックスアジア酒街道を行くリンク集

<<酒めぐりTOPへ

過去記事一覧

焼酎を訪ねて
  九州山間地を行く


居酒屋にススメ

粕取焼酎を現代に生かす

北海道の大地で育った酒

美ら島酒紀行 メーカー編

美ら島酒紀行 飲食店編

観光資源としての
  酒文化 下


観光資源としての
  酒文化 上


南国土佐に「酒の国あり」

大信州(長野)
  「長野の酒」からはずれを
  なくす


初孫(山形)
  機械と手作りを
  融合させた新工場


阿蘇の名水生まれの酒

若鶴(富山)
  濃醇な無濾過生原酒で
  おいしさを追求


奥越前(福井)
  名水と酒米の里の酒


自分のワインを造りたい
  −各地で生まれる
  ドメーヌ型ワイナリー


美の川(新潟)
  新潟酒の個性派


山田錦のテロワール1

山田錦のテロワール2

機山ワイン(山梨)
  風土を生かした
  ワイン造りへの挑戦
日本と海外の酒めぐり
多満自慢 東京
酒縁づくりで広がるお客様の輪
日本中どこに行っても、その土地を代表する地元の酒がある。そして、たとえ全国的には無名であろうともその土地の人々には愛され飲まれている酒がある。その中で例外になるのが首都圏である。ここでは、全国から集まる圧倒的な量の有名地酒やNB商品に対して、土地の酒の量自体があまりにも少ない。このような環境の中で、首都圏の酒蔵はどういう方向性を打ち出しているのかを伺うべく、東京都福生(ふっさ)市の清酒「多満自慢」醸造元の石川酒造(会員)を訪ねた。

東京の地酒
都市部に所在する酒蔵は、地方にある蔵と異なり、産地や郷愁などに訴えることは難しい。一方で、アクセスの良さもあり蔵に集客することは比較的容易である。地酒ブームの中で、都市近郊の利点を生かしてここ二、三年、酒蔵の観光装置化や田植え等のイベントに力を入れる蔵が増えてきた。現在首都東京には、清酒メーカーは一三社(離島除く)あり、三月には立川市のホテルで消費者対象の合同きき酒会も開催された。
石川酒造のある福生市は立川市の北西に位置し、東京のベッドタウンとして都市化が著しい。当主の石川弥八郎社長は、石川家一七代目にあたる。現在は地元福生市長を務めている関係もあり、蔵の実務は後継者の石川太郎専務が切り回している。
同社が、酒造りを始めたのは、江戸時代の天明五年、一三代目弥八郎の時と伝えられる。創業当初は、現在酒蔵のある場所ではなく、多摩川を挟んで反対側で、「八重菊」という酒を造っていた造り酒屋の蔵を譲り受けてスタートした。当初の酒銘は「八重梅」であった。
その後、明治一五年に現在地に蔵を建てて移転している。その時に建てた木造蔵は何度かの改修を経て現在も稼動中である。木造三階建てで、間口一四間半、奥行き一八間という広さは、現存する酒蔵としてはかなり珍しい。そして、昭和八年に更に酒質のアップを目指して、新しく井戸を掘り直したのを機会に、多くの人々の心を満たし、地域の自慢になるようにと「多満自慢」と名づけられて現在に至っている。
その間の明治二一年から三年間には「JAPAN BEER」という商標でビールも製造販売していたが、王冠の打栓技術が確立しておらず撤退したという歴史もある。同社と石川家の成り立ちについては、雑蔵二階の資料館の展示に詳しい。

とても立派な木造蔵
東京駅からJR中央線・青梅線の快速電車で約一時間。拝島駅前には、地元ということもあり、多満自慢の看板を掲げた飲食店が目につく。二〇分ほど歩くと石川酒造に着いた。さすがは、明治以来の木造蔵である。瓦屋根と白壁のコントラストが美しい。中庭の松、桜、けやき、杉などの大木が、好ましい雰囲気を醸し出している。
事務所の前に二本並んで立っているけやきは、佐々木久子さん(雑誌『酒』の元編集長)の命名により「夫婦けやき」と呼ばれ、ひときわ目立っている。一通り蔵を拝見してから、雑蔵と名づけられたホールで石川専務と小山光彦顧問からお話を伺った。
――最近の石川酒造の酒造りの予定はどうなっているのですか。
「現在当社では、九月初旬の新米の入荷から四月五日の甑倒しまで、およそ七カ月間酒を造っています。そのうち、九月と一〇月は社員六名と私だけで酒造りを行い、一一月からは杜氏や蔵人も、私の出身地、新潟県の松代町からやって来ます」と小山顧問。
「実は、昭和二六年から、一〇年前に杜氏から替わるまで、私も毎年冬の間こちらに酒造りに来ていました。その間もずーっと自分たちが造った酒がどのように売られ、飲まれているのかに大変感心がありまして、時々セールスさんと一緒に回ったりしたこともあります。
ご多聞に漏れず、私の家でも息子たちは、学校を出ると東京に就職しています。そして、私の集落も数軒しか残らない状態になってきたので、思い切って、こちらに住むことを決意しました。東京に出てからは、製造部長や支配人といった別の立場から酒造りに関わらしてもらっています。二年前に定年になってからは、顧問として、社員による酒造りの指導や蔵を訪れるみなさまのお世話をさせてもらっています」
――蔵見学にはどういう人達が来られるのですか。
「例えば、毎年隣りの小学校の三年生が社会科見学の一環でやってきます。もう五?六年になりますか。子供さん相手ですから、難しいことを言ってもなかなか分からない。まず、『お父さんはどうしてお酒を飲むのかな。どんなお酒を飲んでいるかい』というような話から始めて、『お酒はどうやってできるのだろう』と説明したりして、実際に見せてみます。
子供達は、タンクの大きさや発酵中の醪などにとても感動してくれるので、こちらも張り合いがあります。見学後には、必ず感想文を書いてもらい、その中から出た子供達の疑問にはすべて答えられるように先生と打ち合わせをしています」
――なぜ、そこまでフォローされるのですか。
「ただ見ただけでは、あまり記憶に残りません。一週間くらいして、先生の方からもう一度説明してもらうことで、子供達に酒蔵のことがより強く記憶されるからです。数年経ってからまた来て、『おじさん!』と声をかけられることもあります。こんなことも地元の酒造りをイメージづける上では大切なのではないかと考えています」

<<前頁へ      次頁へ>>