時代や文化とリンクしたお酒に関する旬の情報サイト
酒文化研究所ホームページ
会社概要酒文化の会メールマガジンContact UsTOP
イベント情報酒と文化コラム酒文研おすすめのお店酒文化論稿集酒飲みのミカタ特ダネ
海外の酒めぐり日本各地の酒文化見学できる工場・ミュージアム酒のデータボックスアジア酒街道を行くリンク集

<<酒めぐりTOPへ

過去記事一覧

焼酎を訪ねて
  九州山間地を行く


居酒屋にススメ

粕取焼酎を現代に生かす

北海道の大地で育った酒

美ら島酒紀行 メーカー編

美ら島酒紀行 飲食店編

観光資源としての
  酒文化 下


観光資源としての
  酒文化 上


南国土佐に「酒の国あり」

大信州(長野)
  「長野の酒」からはずれを
  なくす


初孫(山形)
  機械と手作りを
  融合させた新工場


阿蘇の名水生まれの酒

若鶴(富山)
  濃醇な無濾過生原酒で
  おいしさを追求


奥越前(福井)
  名水と酒米の里の酒


自分のワインを造りたい
  −各地で生まれる
  ドメーヌ型ワイナリー


美の川(新潟)
  新潟酒の個性派


山田錦のテロワール1

山田錦のテロワール2

機山ワイン(山梨)
  風土を生かした
  ワイン造りへの挑戦
日本と海外の酒めぐり
東光 山形

山形県米沢市は、大正時代の大火までは東北有数の酒どころだったという。大火、太平洋戦争を経て酒蔵の数は減ったが、この地でもっとも長い歴史を誇る小嶋総本店(会員)はその荒波を泳ぎきった。今回は、長期熟成酒の草分けでもある同社に、その歴史と酒造りへの思いをうかがった。

「東光」の由来を探る
米沢市は、山形県南部、置賜(おいたま)地方の中心都市。江戸時代には、上杉氏の治める米沢藩の城下町として栄えたところだ。
株式会社小嶋総本店は、この米沢で慶長二年(一五九七年)に創業。藩の御用酒屋を務めるなど、長くこの地の造り酒屋の中心的存在として重きをなし、現在も地元の人々に広く愛飲される清酒を送り出し続けている老舗である。
現在の社長、小嶋喜市郎氏は二三代目に当たる。
「このあたりは米沢の、城下町のなかの職人町なんですよ。向かいが鍛冶屋さんでしょ。で、この裏は紺屋町といって染物屋さんの町だったんですね、昔。それにここから少し行ったところが泉町といって、私が小さいころまでは清水が自噴していた地域で。きれいな水が大量に得られるんで、味噌、醤油、酒の醸造業、染物屋とかがこの辺にあったんです」
現在の同社の中心ブランドは「東光」という。
江戸時代、地方の造り酒屋の市場は蔵の周辺地域に限られていた。そのため、「小嶋の酒」と名前で呼ばれるか屋号で呼ばれるくらいで、ブランドは必要なかったのではないかと小嶋社長は言う。ブランドを付け始めたのは明治期に入ってから。当時は特上酒が「日本響」、上酒が「東光正宗」、普通酒には「白鷹」「米祝」「白梅」「千代鶴」などさまざまなブランドがあったらしい。
そのころは、現在のように一軒の酒販店がいくつものメーカーの酒を扱っているわけではない。そのため、隣接した店が競合しないように普通酒のブランドを分けたようだ。
「『東光』の由来というのは、はっきりはわかりません。ただ、ここの蔵の前にはずっと昔は建物がなかったらしいんです。それで玄関は東に向いてますから、その時の当主が朝起きて太陽が上るのを拝んでたからだとか(笑)。あるいは、日の出のように隆盛たれというふうな意味だとかいわれてきています。
ただ、東光寺というお寺が各地にあるように、東光というのは薬師如来と関係あるらしいんですね。薬師如来は薬の神様ですし、酒は百薬の長ですから。
本当に関係あるかどうかですけど、薬師如来と関わりがあるかもしれないと知って、いっそう東光という名前はいい名前なんだなと、最近感じてたところです」
いくつかあったブランドが「東光」に統一されたのは、日中戦争が始まって酒類の価格が統制となったころのことである。そしてこののち、同社だけでなく全国の酒蔵の将来を左右する重大な岐路が待っていた。
それは、統制経済の強化によ る強制的な企業合同の波である。当然山形県にもこの波は押し寄せ、同社も存亡の危機に立たされることとなった。
心配した親族があつまり夜中まで親族会議をひらいて相談した。しかしいろいろな経過の末に企業合同はまぬがれた。
かつて何軒もあった造り酒屋のうち、企業合同に参加した蔵の多くは戦後復活することなく消え、また復活してもなかなか以前のシェアを取り戻すことができず苦労するが、「東光」ブランドを守り続けた同社は順調な発展を遂げることができたのだ。

地元重視の品質向上策
こうして戦後も着々と発展を続けてきた同社が、自社の酒造りを見直し始めたのは、昭和四八年ころのことだという。
機械化を中心とする効率重視の酒造りから、品質重視の酒造りへの転換である。しかも、その後多くの地方蔵が目指した吟醸酒など、いわば看板としての高級酒造りの道ではなく、当時の二級酒の品質向上を目指した。
「ふつうに飲む酒の品質を上げようっていうことなんです。そういう意味で、鑑評会へ向けての吟醸酒は造っていましたが、吟醸酒を市販することに取り組むのはうちはちょっと遅かったんで、いま考えると経営的にはよかったのかどうかよくわからないんですけどね。
ただ地元市場の比重が大きいし、そういう人たちが毎日召し上がるお酒を提供してるわけです。やっぱり、それを少しでもいいものにしたいという思いが強かったんですね」
例えばそのころ、新酒への切り替えの季節に夜八時ころ酔った顧客から電話があり、酒の味が変わったというクレームがある。六時ころから飲み始め、おかしいおかしいと思いながら飲み続け、いいかげん酔っぱらった八時ころ、意を決して電話をかける……。「東光」には、そうしたありがたいファンがたくさんいたのだ。だから同社は、
そうしたファンを大切にし、まずは二級酒の品質向上に全力を注いだ。
最初に目指したのは、活性炭と醸造用糖類の削減である。
「活性炭を使わないためには、貯蔵中もクセをつけないようにしなきゃいけないんです。だから一番単純に、温度管理をして熟度を抑えようと発想したわけです。そしてまず、貯蔵庫に冷房機を入れました。
それから順に、たとえば麹の作り方、発酵経過、精米工程と見直していったんです。うちは、普通酒の発酵でも最高温度は一三度。吟醸に近いですね。そうすることによって、酒の変化がなくなるように造ってきました。
いま旧二級だったら、おそらく全国で、単位当たり活性炭使用量のもっとも少ない蔵の一つだと思います」
そして清酒が辛口傾向になっていったのと軌を一にして糖類を削減。級別廃止を機会に、普通酒への糖類の使用をやめた。
地酒ブームが起こり、他の蔵が吟醸酒、大吟醸酒などの仕込みにしのぎを削るなか、「東光」は地元ニーズの高い二級酒の品質改善に力を注ぎ、ついにその目的を達したのであった。

<<前頁へ      次頁へ>>