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梅錦 愛媛
ポリシーあふれる酒造り
昭和五〇年代の「第一次地酒ブーム」で、それまで愛媛県内でも知らない人の多かったマイナーな地酒から、一躍全国ブランドに急成長した梅錦。その蔵元である梅錦山川株式会社は、以後多品種化を進め、現在では毎年PBも含めて五〇種類以上の酒を醸すに至った。困難を知りつつ、多品種化を続ける真意を探る。

五五種類の日本酒を醸す理由
愛媛県の東端、香川、徳島両県と境を接する川之江市は、江戸時代から続く製紙の街である。現在でも、近代的な製紙工場に加え、手漉き和紙の工場などが数多く立地している。JR予讃線・川之江駅から山側に向かう。旧街道筋なのか、ときおり板壁の古い家並みが残る、細く曲がりくねった道を東南へ三キロ弱、左側に板壁、格子戸のどっしりした屋敷が現れる。軒先に酒林の下がった建物が、梅錦山川株式会社の本店である。
現在では、この本店と小さな川をへだてた隣に、近代的なビン詰工場があり、本社機能はそちらに移ったが、酒造りは本店裏の蔵で行われている。
「梅錦」といえば、昭和五〇年代の第一次地酒ブームの立役者の一つであり、多少なりとも日本酒に関心を持つ人なら、この名前を知らない人はいないだろう。だが、その商品アイテムの多さは、案外知られていない。
現在同社の商品数は、PB(プライベートブランド)も含めると約二八〇。造りの種類だけでも、同社のブランド二八、PB二七の計五五種類におよぶ。
「なぜ商品数が増えたかといえば、社長のわがままです。確かにコストは嵩んでいると思いますし、蔵人も大変だと思います。自分も蔵で一緒に仕事をして、蔵人の苦労を直接見ている小さな酒蔵の社長なら、やれとはいえないでしょう。まあ、わがままというのは半分冗談ですが、いい酒を造ろうと思ってやってきたら、結果的にこうなったというのが本当のところです」(梅錦山川社長 山川浩一郎氏)
同社は、「ひとりひとりに合うお酒造り」を標榜する。その意味は一〇人のうち九人が好む、うまさの平均化した酒ではなく、ひとりの人がうまいと思う酒を造ることにある。そのひとりの後ろには、必ず多くのファンがいることを信じて。

品質重視の伝統
創業は明治五年。当時はどこの町にも一軒や二軒はあったはずの、油なども扱う小さな酒蔵だった。当然、販売先も地元のみ。こうした状態が大正、昭和初期と続き、戦後も、同社は他の地方の酒蔵と同じく、地元の酒屋や飲食店を相手に、細々と営業する時代が続く。
だが、この間にも、昭和七年に全国清酒品評会の優等賞を受賞したり、同九年全国新酒鑑評会の第一位を受賞しており、現在に至る「うまい酒を造りたい」という情熱と技術は、同社のなかで育まれていたと言っていいだろう。
そして高度成長まっ只中の昭和四〇年から、連続一二年間、全国新酒鑑評会の金賞を受賞するという快挙を成し遂げることとなる。そしてこの昭和四〇年代が、同社の製品多品種化のスタートだった。
「昭和四二年発売の『秀逸』は、もともと鑑評会用に造ったお酒です。それから、辛口、本醸造、純米、原酒という日本酒の四つの要素を二つずつまとめて、純米原酒『酒一筋』(昭和四五年)、辛口吟醸酒の『つうの酒』(昭和四八年)の二つを発売しましたが、あまり売れませんでした」(山川社長)
こうして地道に「うまい酒」を求め続けてきた同社に、大きな追い風が吹きはじめたのは昭和五四年のこと。雑誌『特選街』の日本酒味くらべ・きき酒テストで同社の特級酒が一位、「つうの酒」が二位となり、上位を独占したのをきっかけに、「地酒ブーム」に乗ったのだ。
さらに、五六年にも同じ『特選街』の〈日本酒〉日本一を選ぶ味コンクールで「酒一筋」が第一位となり、日本酒に関するさまざまな書籍でも紹介されることで、「梅錦」は一挙に全国的な知名度を獲得した。この間、同社の生産量は、五四年から五八年にかけて二倍近くにまでふくらむこととなる。

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