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途絶えさせた伝統を復活させた背景
長い歴史の中で消えてしまった酒もある。熊本でかつて愛飲されていた赤酒も、生活の変化の中で消滅の危機を迎えたのであった。しかし、新たな一面が評価されて、まさに灰神楽の中から甦って現代に生きている。

清酒の源流「赤酒」
ほんの半世紀前までは、日本各地に清酒メーカーと同様に地域に根差した醤油や味噌のメーカーがあったものである。醤油や味噌など基礎調味料の味の違いは、郷土料理やお袋の味といれる家庭料理の基本になっていて、大人しか飲まないお酒よりも地域特有の味覚の形成に寄与していた。しかし、現在では、全国均一の味を提供するファストフードやファミリーレストランの展開、また全国に店舗を組織するCVSや大手スーパーマーケットの発達、そして何よりも大量生産をする大手メーカーとの生産コスト差の拡大などにより、味噌や醤油の地場メーカーも徐々にその数を減らしている。今回は、そんな風土に根差した味わいを支えるお酒ということで、少し珍しい熊本の「赤酒」を取り上げた。
赤酒といっても殆どの方はご存じないかと思う。かつては熊本県内で普通の清酒よりもふだんに飲むお酒として広く庶民に親しまれていて、現在でも主に正月のお屠蘇として飲まれている。またその一方で、「全国的には料理用に使われ、高級料亭ではよく使われている」(瑞鷹酒造談)といわれている、知る人ぞ知るみりん様の甘いお酒である。もちろんその名前の通り、色はほんのりと赤みを帯びた赤褐色である。

赤酒とは
赤酒は、味覚的にはみりんに似た酒であるが、製法はみりんとは全く異なり、むしろ清酒の仲間といえる。清酒造りと異なる部分は、米と水の比率が違うこと(清酒よりも米の比率が高い)と、「もろみ」の段階で木灰を加えるという二点にある。
清酒と同じような行程で仕込みを行い、「もろみ」の段階で木灰を加える理由は、酸敗を防ぎ、保存性を高めることが第一の目的である。この手法は、鎌倉時代から実施されていた古い造りのタイプである。火入れによって雑菌類を殺して保存性を高める技術が室町後期に発見され、全国に普及するまでは、日本各地で見られた造り方である。
このことを指して、現在の清酒を火持酒と呼ぶのに対して、灰持酒(あくもちざけ) と呼んでいる。また、濃厚な甘みのある味わいになるのは、米の比率が高いことに起因する。
熊本で赤酒が広く発達したのは、江戸時代に細川重豪が藩主であった一七〇〇年代に他藩からの酒の輸入を禁止し、藩内での赤酒造りを奨励したことに端を発したといわれる。灰持酒は、腐造しにくいという特性から夏でも酒造りができるなどの特徴があった。
明治維新を迎え、県内に他県からの酒の流入が可能となってからもしばらくの間は、熊本県では、酒というともっぱらこの赤酒のことを指していた。
熊本に普通の清酒が普及した大きな契機となったのは西南戦争である。西郷軍が鹿児島から北上して熊本各地で官軍と激突。県内各所で激戦が繰り広げられた。そのときに日本全国から集まった官軍の兵士達に供するために福岡県から大量に清酒が持ち込まれ、熊本県の産業が戦乱の中で大きな被害を受けた等の影響で、庶民まで清酒を知るようになった。それでも、明治三〇年頃までは、県内で消費され
るお酒は赤酒が中心で、夏目漱の書いた『三四郎』の中でも五高生(現熊本大学)はもっぱら赤酒を飲んでいたと描かれている。
大正時代の価格表を見ると、灰持酒はおおよそ清酒の二割程度安い値段で供されていたようだ。しかし年々清酒が増える中で明治後半以降は徐々にその製造量を減らし、ついに昭和一四現在赤酒を造っているのは、今回訪れた瑞鷹酒造(東肥醸造)と千代の園酒造の二社だけとなっている年には、戦時統制で一度製造中止に追い込まれる。戦後の昭和二五年からようやく復活するが、現在に至るまで料理用と慶事のときに飲むお酒という位置づけに変わってきている。

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