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端鷹 熊本
途絶えさせた伝統を復活させた背景
正月に鷹が飛び込んできた
瑞鷹酒造は、熊本市の南西部、川尻町にある。川尻町はその名前の通り、緑川の河口に発達した港町で、安土桃山から江戸時代にかけては軍港・商港として繁栄した。熊本市に入る物資の大部分がこの港で陸揚げされていたので、九州中部の一大物流基地だったのである。また、工芸職人の町としても有名で、一昨年には熊本伝統工芸館がオープンして、職人の技を今に伝えている。
今回訪れた瑞鷹酒造は、その工芸館の隣りに第二工場(東肥醸造)を持ち、そこから徒歩五分ほどのところに第一工場(瑞ほどのところに第一工場(瑞鷹酒造)と本社がある。本社の裏手には「酒造り資料館」を昨年開設した。瑞鷹酒造グループは清酒を造る瑞鷹酒造と焼酎、赤酒などを造る東肥醸造の二社に分かれているが、これは戦時中に工場毎に別会社にされたことの名残だそうで、実態としては、ひとつの会社のようなものらしい。
瑞鷹という社名の由来は、「明治二二年の元旦の朝、酒蔵の戸を開けると新春の光と共になにかがバタバタと蔵の中に飛び込んできた。目を凝らして見るとそれはスズメを追ってきた鷹であった。正月に鷹とはなんとめでたき瑞兆かな」とそれ以来、瑞鷹という酒銘を使うようになったと伝えられる。瑞鷹酒造の創業は、江戸時代末期の慶應三年で、今の吉村浩平社長で六代目に当たるという。同社の吉村圭四郎専務(五二歳)にいろいろとお話をうかがった。
それからもう一点、YK35という言葉を説明しておく。全国新酒鑑評会で金賞を取るお
酒の多くがYK35と呼ばれているからだ(Y:山田錦、K:協会九号酵母、35:精白歩合三五%)。この協会九号酵母は野白金一氏(後述)によって熊本県で発見、純粋培
養されているものである。
――瑞鷹酒造の創業の頃を教えてください。
「初代の吉村太八が、行商をやったりいろいろしているうちに、米の突き売り(精米業)を始めて、その精米業が大きな商売になって、麹を造るようになったようです。そして藩政時代末期に酒類製造に乗り出した。この頃は当然赤酒が中心だったと思
います。西南の役で、熊本市は焼け野原になりましたけれど、川尻は焼けなかったので、大変景気が良くなった。恐らく、酒も全然足りなかったのでしょう。
その頃に徐々に県外から清酒が入ってきて、『清酒がいいなあ』という思いもあったのでしょうね。全国から集まった兵隊用に地元に清酒が無いので、筑後、城島、瀬高(いずれも福岡県)あたりからどんどん入ってきました。それでも県内で清酒造りがなかなか広がらなかったのは、赤酒のシェアが落ちても、量的にはそれなりに増加していたからです。だからみんな転換が遅れたのでしょうね。
うちも明治二〇年代に丹波杜氏を招いて挑戦しているのですが、当時の丹波杜氏の技術では、こういう気候のところで造ったことがないものですから、失敗してしまう。結局、初代の太八の三男を技術者にして、杜氏に頼らずにできるようにということを目指しました」
――ずいぶんと早い時期に、社員技術者の養成に乗り出したのですね。
「タイミングもよかったのです。清酒造りの技術が確立した明治三〇年頃に、野白金一先生が熊本税務監督局の鑑定官として赴任されてきた。その指導で当地の酒造りは急激に良くなっていくのです。大正時代になると、熊本の酒が全国大会でけっこう入賞するようになり、当社も大正八年に全国第一位優等賞をもらっています。結局
それ以前の技術の蓄積は、あまり役に立たなかったのでしょう」
――ところで赤酒のほうではどうだったのですか。
「赤酒の量的なピークは、明治の三〇年代前半。赤酒は、清酒の一番古い形を残
しているから甘いのです。五水(ごみず)といって米一に対して水が五の割合で仕
込みます。灘式の清酒は十水(とみず)といって水を倍入れます。濃醇な甘い酒、おそらく江戸時代の清酒と似たようなものかと思います。ただ、灰を入れますから、風味的にはくせが強いです。
戦前は赤酒では全国で一番大きいメーカーでしたが、それを戦時下に中止させられて、昭和二五年に復活しました。赤酒をもう一回飲みたいとか、神事では赤酒がいるという要望が多かったものですから。
しかしいくら昔懐かしい人がいても、量的には微々たるものでしたので、『お屠蘇に赤酒を』というキャンペーンを始めたのです。そのためには、屠蘇散も作りました。親父は凝り性でしたから、屠蘇散もいろいろ集めて調べてました、今でも社内で調合して作っています。そんなこんなでやっているうちに、プロの料理人が調味料として赤酒を使い始めた。これが結構いけそうということで、調理師ルートを中心に啓蒙普及活動に力を入れて、全国的にお取り扱いいただけるようになったのです」
こうして、赤酒は、戦前の熊本地区の大衆の飲み物としての酒から、戦後は和食料理人が使う調味料としての酒となり、消費を拡大させていくのである。
ひとつの地域でしか受け入れられなかった酒が、姿を変えずに用途を開発することで、全国に羽ばたいたという稀有な例である。

瑞鷹酒造株式会社
熊本県熊本市川尻町4-6-67
電話 096(357)9671
お酒の四季報(2001年夏号)

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