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研究読物 神酒を醸すどぶろく祭(茅野)
お弁当もって境内で酒盛り
さて13時近くの境内は、氏子や一般市民・来賓であふれかえっていた。一方、拝殿内では神官、祭主、区関係者らによって例祭がとりおこなわれる。
神事が終わるといよいよ準備されていたどぶろくが氏子たちに配られる。そして乾杯の音頭で酒宴がはじまった。氏子たちは、各自持参した弁当のほか、配られたうどの粕和えと鹿肉の塩ゆででもって、しばしの酒宴を楽しむのである。
どぶろく賞味所に詰め掛けた一般市民らも、賞味券と引きかえに、その神の酒の相伴にあずかっている。そうした中、境内では、地元の永明小学校の児童とPTAによる獅子舞や、諏訪明神太鼓保存会によるどぶろく太鼓の奉納などの催しが繰り広げられる。
16時以降、社務所では、区長、丁目代表、役員ら、約40名で直会が行なわれる。蔵の鍵は丁目代表から氏子総代長預かりとなるが、翌28日の次年度当番への引き渡し式で、区長から次年度当番へと引き渡される。この瞬間から、氏子たちは、翌年の祭りへ向けて再び始動するのである。

当番は一世一代の名誉
どぶろく当番は、現在は氏子による回り番となっているが、かつてはその役目を司る家が定まっていたようである。
すなわち永禄8年(1565)年12月7日の『武田氏諏訪上宮祭次(じょうぐうさいし)祀再興次第(さいこうしだい)』からは、このような神事役が神主と呼ばれていたことがうかがえる。しかし、文政13年(1830)の『御座石大明神御祭礼定式帳』(神社所蔵)には「矢ヶ崎村誰当年御座石鹿主相勤申候」と表記されている点から、近世の後半には、すでに年番制に変化していたことがうかがわれる。
その変化時期は特定できないが、古老の伝承によると、かつて祭りの主催者となっていた細田五郎左ェ門家が今から約170年前に全焼し、家勢が衰えたため、矢崎村の旧家36軒の中から毎年1軒を選び、交替で奉仕するようになったという。この体制は昭和42年まで続いたが、人口の増加に伴い、翌年より当番は3軒に増員された。
現在、当番は丁目ごとに選ばれ、七丁目から一丁目へと逆順に回っていく(ちなみに本年は、六丁目が当番に当たっていた)。また、前年度に造りを終えた当番は、師匠番と称され次年度の当番の補佐役として協力することになっている。先述したように当番は抽選で決まるが、醸造に大量の時間を費やすことから勤め人には負担が大きい。そのため事前に根回しされ時間に自由の利く退職者が多く選ばれる。
たいていの場合、氏子たちは当番に当たることを名誉ととらえているが、その責任は重大である。かつては当番がどぶろく仕込みに使う米を全量負担した。酒が酸っぱくなってしまって飲用にならず、やむなく田畑を売り払って高価な酒を購入したなどの悲劇話も伝承されている。
こうした負担を軽減するために、当番が増員され、町会費で原料米の相当量を賄うように変わった。さらに酒造の安定性を増すために、酒造会社の技術指導を仰ぐようになった。

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