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他に類を見ない徹底した原種管理
兵庫県の山田錦が優れているとされるもうひとつの要因は、徹底的な原種管理がなされていることである。
山田錦の栽培には、粘土質の土壌で寒暖の差が大きいところがよいとされる。この点はよく知られているが、収穫した山田錦で栽培し続ければ形質が変わっていくことはあまり知られていない。ほうっておけば、他の品種と自然に交配してしまうこともあるし、山田錦らしくない形質が遺伝していくこともあるのだ。
酒米試験地は、これを避けるために原原種管理を徹底しておこなっている。原原種の管理のために種子を選別し、確実に栽培して増やし、できるだけ原種に近い種子を供給しているのである。
酒米試験地とは、正式には兵庫県立中央農業技術センター農業試験場作物部酒米試験地といい、山田錦の主産地のひとつ社町にある。
主たる業務は、酒米の品種育成と栽培法の研究で、じつは昭和初期、山田錦がまだ山渡50-7と呼ばれていたその揺籃時代に生産力検定試験をおこなったのもここである。また、平成5年には山田錦の孫にあたる兵庫夢錦の育成もおこなっている。
こうした業務と並んで、同試験地の重要な役割となっているのが酒米の原原種管理だ。
「イネのほか、ムギとダイズについては、主要農作物種子法という法律があり、県の奨励品種の原種は各県が作ると定められています。山田錦の場合も、当試験地が一株ずつ特性を調査して原原種を選抜。その原原種を原種農場で栽培して原種を生産し、さらにその原種を採種組合に委託して栽培用の種子を採るという三段階になっています」(酒米試験地 池上勝主任研究員)
実際に山田錦を栽培する農家は、採種組合で生産された種子またはその種子を使った苗を購入することで、つねに山田錦特有の遺伝形質をしっかりと備えた酒米を生産することができるのである。
山田錦を奨励品種にしている限り、他県でも同様の方法がとられているはずだが、そもそも兵庫県は一度も、山田錦の原原種の県外提供をおこなっていない。現時点では遺伝子レベルでの同定は不可能だから、原原種の選抜はもっぱら形状を見て判断するしかなく、もしなんらかの方法で手に入れた栽培種子をもとにしているとすれば、遺伝特性の維持はかなり難しいのではないか。

灘とともに育ってきた山田錦
さて、山田錦が吟醸酒用の麹米として最適だという事実から、その主要な購入者は、地酒ブームの主役となった地方の蔵元だというイメージがあるかもしれない。
しかし、山田錦をもっとも使っているのはイメージとは裏腹に、灘の大規模な酒造メーカーである。もっとも、その地理的な近さを考えれば、この事実は意外でもなんでもない。じつはその誕生から現在まで、産地と一体となって山田錦を育ててきたのは灘の蔵元にほかならないのである。
つまり「村米」という一種の契約栽培制度の存在が、さまざまな意味で、山田錦を今日の地位に押し上げてきた原動力であった。じつは山田錦を始めとする酒米は、背が高いため倒伏しやすいなど、飯米(一般の食用米のことを蔵元ではこう呼ぶ)に比べて栽培が難しい。また収量的にも、酒米は飯米にかなり劣る。栽培が困難で量も採れないとなれば、価格がある程度高くないと生産しても折り合わないのは当然である。
そのため、ある村(現在の集落をかつてこう呼んだ)が蔵元の喜ぶ良質の酒米を安定的に生産する代わりに、蔵は飯米より高い価格で毎年その村から一定量を買い上げるという制度が必要とされた。
この村米制度は山田錦が誕生する以前から存在し、かたちを変えながら現在まで続いている。
この制度のもとでは、ひとつの蔵元が複数の集落と契約していることが多く、その購入量はかなりのものとなる。そうなると鑑評会出品酒どころか、吟醸酒づくりに使用してもまだ余る。そう、灘の大規模な酒造メーカーのなかには、通常の仕込みにも山田錦を使っているところが少なくないのだ。
つまり山田錦の多くは、現在でも灘の蔵元との密接な関係のなかで栽培されているのである。
では、山田錦と灘の蔵元との関係はどのようにして生まれたのだろうか。それを知るにはまず、山田錦誕生のはるか以前、江戸時代にまで遡らなければならない。


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